保命酒の歴史

保命酒は、大阪生玉神社の近くで開業していた医師中村壤平利時の指導により、長男の吉兵衛吉長が焼酎製薬酒を製造していたのがルーツとされています。

吉兵衛は1653(承応2)年、浪速の大洪水により甚大な被害を被り、再興をあきらめ鞆津酒造業・津田六右衛門をたより、1655(明暦元)年に鞆津に来ました。

1695(万治2)年、鞆町奉行に願い出て、これまでの薬法をもちいて焼酎製薬酒をつくり「十六味地黄保命酒」と名付けて製造販売を始めました。
これが、「保命酒」の起源と言われています。

当時の薬酒業(医師・薬剤師・薬販売業・酒類販売業)は、製品として「保命酒」「せんきん酒」「梅酒」「忍冬酒」「桑酒」「しそ酒」「菊酒」「あやすぎ酒」「せうせう酒」「延寿酒」
「枸杞酒」「泡盛酒」「焼酎」「みりん」「普通酒(清酒)」「練酒」などの多彩な酒類・薬酒が酒・医薬品として製造販売が盛んに行われていたようです。
(当時の鞆津商人は京都で上記の種類を販売していました)

この本家(中村家)は屋号を「生玉堂」となのり、明治に廃業されても、30年くらい前まで、薬局として薬販売業を営んでおられました。

さらに明治以降に中村家の専売制もなくなり、また中村家が酒造業を廃業されたのち、地元資本数社がそれぞれ「保命酒」製造業を起業し、それぞれ独自の原料を使用し現在に至っています。

現在の製造業者は4社あり、「八田保命酒舗」は1908(明治41)年創業した、明治以降の業者の一つです。
しかし太平洋戦争時の物不足・戦死(人不足)により一時製造を休止していた時期も在り、再興した業者でもあります。

※出典は、「福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動審議会」発行の特別展観「保命酒展」から一部引用。